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相模 (女房) : ミニ英和和英辞書
相模 (女房)[さがみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance
: [も]
  1. (pref) imitation 2. copy 3. mock 4. replacement
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
女房 : [にょうぼう]
 【名詞】 1. wife 
: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 

相模 (女房) ( リダイレクト:相模 (歌人) ) : ウィキペディア日本語版
相模 (歌人)[さがみ]

相模(さがみ、生没年不詳:998年(長徳4年)頃 - 1061年(康平4年)以降か)は、平安時代後期の歌人である。中古三十六歌仙女房三十六歌仙の一人。実父は不詳で、摂津源氏但馬守頼光の養女。母は能登守慶滋保章〔* name=tadayuki/>の娘。

== 経歴 ==
初名は乙侍従(おとじじゅう)。十代の頃、橘則長〔* name=norinaga/>の妻となるが離別〔、1020年(寛仁4年)以前に大江公資〔* name=kinyori/>の妻となり、「相模」の女房名で呼ばれるようになる。夫の任地相模国に随行したものの、結婚生活が破綻し、1025年(万寿2年)頃離別した。この頃、四条大納言藤原公任の息男であり、自身も歌人として名高い中納言藤原定頼との恋愛も知られている。やがて一条天皇の第1皇女(入道一品宮)脩子内親王に出仕〔* name=iroha/>。1049年(永承4年)内親王薨去後は、さらに後朱雀天皇の皇女祐子内親王〔脩子内親王の大姪かつ姪。同母弟・敦康親王の娘と、異母弟・後朱雀天皇との間の娘。〕に仕えた。この間、数々の歌合に名をつらね、後朱雀・後冷泉朝の歌壇で活躍した。彼女は和歌六人党藤原範永平棟仲藤原経衡源頼実源頼家源兼長)の歌道の指導的立場にあったばかりでなく、能因法師和泉式部源経信などとの交流もそれぞれの家集から伺える。『後拾遺和歌集』では和泉式部についで第二位の入集歌数を誇る他、以降の勅撰集、家集等に多数作品を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「相模 (歌人)」の詳細全文を読む




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